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Il Poggione

Il Poggione & Talenti

イル・ポッジョーネ&タレンティ

 これら二つのワイナリーとの関係もかなり長く、20年を越えている。下の文章はヴェロネッリ(Veronelli)出版社が、“イ・セーミ”(I Semi=種まき)シリーズで刊行した『ピエルルイージ・タレンティ〜もうひとつのブルネッロ』に僕が寄稿した一文。2005年7月出版。

 「タレンティのブルネッロを飲んだのは、1988年の秋だった。エノテーカ・ピンキオーリで食事をした時に、ソムリエから勧められたブルネッロのうちの一本だった。ピアン・デイ・コンテのラベルは見たこともなかったが、すぐに気に入った。ホテルに戻ってタレンティに電話して、日本に輸入したい旨を伝えた。レンタカーを利用して、翌日の昼にはサンタンジェロ・イン・コッレに着いていた。タレンティは、トラットリーア・イル・ポッツォに昼食を用意して待っていてくれた。テーブルに着くなり、1983年ヴィンテージの完売を伝えられた。84年を試飲させてくれたが、この年のトスカーナワインのレベルを越えるものではなく、がっかりした。自分はワインを買い付ける仕事をしているが、アルコールはあまり得意ではないといった。この時タレンティは、僕の顔にアルコールの影響が出ているのを見て戸惑い顔になった。自分はアルコールに弱いのでと答えた。彼は僕の気持を和らげようとして、「テーブルではワインを安心して飲んで。もし具合が悪くなったら、医者をしている息子を呼ぶから」と言ってくれた。この時以来ずっと、昼食が終わるころには必ず、僕の様子を確かめるために息子のロベルトが顔を出した。」

 1958年からタレンティは、イル・ポッジョーネで働き始めた。1980年に年金生活に入ると、イル・ポッジョーネからぶどう畑を譲り受けて自分のワイナリーを開いた。タレンティという人には頑固なところがあった。たとえば、熟成には小樽を排した。「自分が生きているうちは、ワイナリーの中には持ち込ませない」と一徹で、バローロのバルトロ・マスカレッロとそっくりだった。
 1988年、タレンティのワインを輸入する目的で訪れたのであるが、結局は20年間、この二つのワイナリーからブルネッロをひとつのヴィンテージも欠くことなく買い続けている。東京蒲田の遺物堂に並ぶこれらのワインは、エトリヴァン輸入史を語るうえで欠かせない第一級の史料である。

両社ともに生産者から現在も輸入。
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