草創期▼
開拓期▼
Siro Pacenti

Siro Pacenti

シーロ・パチェンティ

 このワイナリーを率いているのはジャンカルロ(Giancarlo)で、父親のシーロはすでに高齢だが今も農作業に従事している。パチェンティの初ヴィンテージは1990年だから、ここのワイナリーと知り合いになったのは、僕がフィレンツェに長期滞在(1992〜93年 )した後になる。91年以降、生産がなかった92、02年を除いて、すべてのヴィンテージを買い付けた。最近はネットや小売店でも見かけるようになったが、日本に初めてこのブルネッロを生産者から直接輸入したのは、間違いなくエトリヴァン。きっかけは、レ・ポタッツィーネ(当時はドゥーエ・ポルティーネ)の店で勧められたからではないか。今はジャンカルロ以外にもいるようだが、このころ熟成がバリック百パーセントは、モンタルチーノではジャンカルロ・パチェンティだけだった。ブルネッロの醸造規定では、樽熟成が最低2年間となっているだけで、使用している樽の材質やサイズは決められてない。少しずつ取り置きしておいたパチェンティのブルネッロも、生産後15年を経過している。どのようなエヴォリューションを歩んだのか、興味津津である。このことを考える時、いつも浮かんでくるのがロベルト・ヴォエルツィオ(Roberto Voerzio)のバローロである。多少の違いはあるが、ふたりのワイン造りは共通しているからだ。後者はたまに開ける機会を作っているが、ほぼ健康年齢の範囲内だった。
 初めてジャンカルロを訪ねた時、モンタルチーノの町を越して、イル・ポジョーネよりさらに南のオルチャ川の手前まで連れていかれた。この川を越えるとモンタルチーノではない。川の手前の斜面にジャンカルロの母方のぶどう畑がある。このあたりでブルネッロを作るアゴスティーナ・ピエーリ(Agostina Pieri)は、母方の叔母になる。自分のワインは、ふたつの地域のサンジョヴェーゼを混ぜているのが、他の人たちと違うところと言っていた。赤ワインブームがもたらした経済的余力で、南部地域に畑を購入する大規模ワイナリーも現れている。北と南に畑を所有すると、ワイン造りに何をもたらすのか。降雨量はそれほど変わるものではないが、温度差が影響するという。冷涼気味の年は、南の畑のぶどうで調節したりする。こうした事情は、生産者から直に話を聞かないと分からない。
 パチェンティに初めて行ったころは、まだ最後の大樽が残っていた。中は空だったと記憶している。ジャンカルロ自身の口からもしばしば出るが、サンジョヴェーゼをバリックのみで熟成させるのは、かなり難しいようだ。原料ぶどうの性質もあるのだろうが、当初は木樽熟成が最低3年間と長かったことも、難しくしていた要因の一つではなかったかと思う。収穫期に雨に濡れたぶどうは扱いが難しく、2年間でも長いとぼやく生産者もいるくらいだ。
 パチェンティのワイナリーの前にはぶどう畑と麦畑が広がる。麦秋を迎えた畑に大きな高木がポツンとある。ジャンカルロにこの不思議を一度訊いてみようと思っていた。農作業中に休憩するための木陰だという。そういえば、モンタルチーノの農業はぶどうだけではなかった。
  
1991年ヴィンテージより現在まで生産者から輸入。
シーロ・パチェンティHPへ